埼玉県 見沼桜回廊お花見|江戸時代にタイムスリップしてもっと堪能!

江戸時代にタイムスリップ! 見沼田んぼをもっと堪能できるマメ知識

見沼の歴史を紐解こう

さてさて、早速本題です。

この写真、どこの写真だと思われますか?

見沼田んぼの田園風景1
花筏の美しいビオトープ

花筏の美しいビオトープ

実は、都心から2,30キロメートル離れているかいないかのさいたま市のなか、見沼田んぼの風景なんです。

見沼田んぼといえば、近頃少しずつ、お花見スポットとして知られてくるようになってきたばかり。

都心近郊に、なぜ、いまだに、このような牧歌的な田園地帯が広がっているのでしょう?

遠く太古の昔から、江戸時代での変貌を経て、いまに至るまで、見沼田んぼがには長い歴史があります。

いったいどのような変貌をとげてきたのでしょうか?

ここ見沼田んぼの花回廊でお花見を楽しまれるなら、ちょっとだけ背景を知って江戸時代に思いを馳せながら散策はいかがでしょうか!

さっそく、歴史的な背景を駆け足でご紹介したいと思います。

まず、見沼田んぼのことをお話するのに欠かせないのが、桜並木と平行して流れている見沼代用水です。見沼代用水の水がこの地の自然を育んできました。

湿地帯の時代

古代、見沼田んぼは海底にあって、東京湾に向かう入江だったところでしたが、やがて海が後退して中世には陸化が進んで東京湾から分離され現在の見沼の原型となる沼、湿地帯になり、見“沼”が誕生しました。

田んぼになる前は「沼」だったのですね!

灌漑用水地の時代

それから長いこと経って、時は江戸初期、徳川家康の時代に見沼に大転機の時が訪れました。

1629年に家康の命によって、幕臣で農政家の伊奈忠治(いなただはる)が東京湾に流れ注ぐ荒川と荒川の北東を流れる利根川の流れを統合したことで、農業用水が流れなくなった土地の貯水量を供給するための灌漑工事が行われたのです。

灌漑工事では、見沼地域を挟んで西は川口、東はさいたま市の間のおよそ870メートル(8町)の間にを築いて、見沼へ流れてくる流入水を堰き止めました。

そこで見沼一帯は平均水位1メートルの灌漑用水地(見沼溜井[みぬまためい])となり、下流の水田に供給する水源地となりました。

ちなみに堤は、今も見沼田んぼ地域の南端に八丁堤として残っていて、現在は道路になって普通に車が走っています。

田んぼの時代

その後、見沼が田んぼとして開かれたのは1728年の吉宗の時代になります。

吉宗の時代、財政難を解消するために新田開発が進められ、井沢弥惣兵衛(いざわやそうべえ)見沼溜井を干拓し、見沼も新田開発されました

土木工事では、見沼から60キロメートル北にある行田から利根川の水を用水として見沼地域に引き入れました。その用水は、見沼に代わる用水路として見沼代用水(みぬまだいようすい)と呼ばれるようになりました。

利根川から行田の利根大堰(とねおおぜき)を起点に埼玉県へ南下してきた見沼代用水は、埼玉県は上尾市で見沼田んぼ地域を東側と西側から挟むように2枝方向へと掘削されました。それまでにあった見沼溜井の周縁部をなぞるように東側の大地と西側の大地へと分かれてさらに東京湾へと向かって南下していきます。

今でも、地元の人たちからは東側は見沼代用水東縁(ひがしべり)、西側は見沼代用水西縁(にしべり)と呼ばれ親しまれているんです。東縁と西縁はそのまま南下していき八町堤を横切って下流へ流れていきます。

見沼田んぼの中でも最も標高の低い見沼溜井の中央には芝川加田屋川が作られて排水路となりました。

芝川と菜の花

今でも川にはシラサギカモも遊びに来るのが見られます。

見沼代用水に憩うカモ

芝川に舞い降りるシラサギ

江戸時代の土木工事によって整備された北から南に流れる2本の用水路、2本の川の水で潤う見沼田んぼ、その周りには美しい景観がどこまでも広がっています。

さて、利根川の用水を引き入れて作られたこの見沼代用水、どんなふうに利用されていたのでしょう?

<見沼用水路の役割>

おもに農業用水として、そして物資の内陸の運搬路として使われてたんですね。

農業用水

見沼代用水は葛西用水(埼玉県)・明治用水(愛知県)と日本三大農業用水と言われています。

物資の内陸水運

見沼代用水の役目は、農業用水であるだけにとどまりません。見沼代用水ができた3年後の1731年に、見沼通船掘が完成し、明治時代まで物資の内陸水運として利用されることになります。江戸時代に大量の物資を、一番スピーディに効率的に運搬する方法は川から舟で運ぶことでした。

当時、一番速く物資を運べるのは水運だったんですね。時代を感じますよね。

見沼通船掘とは

見沼代用水と水位差が3メートルある芝川を結んでいる閘門式運河(こうもんしきうんが)で、規模は小さいもののパナマ運河よりも180年以上も前に作られ日本最古の閘門式運河と言われているそうです。下流から上流に物資を舟で運ぶために利用されていたそうです。昭和時代になってからは使われなくなりました。

Information

いまでも毎年8月下旬に、通船掘りの遺構で復元した舟を使って閘門開閉実演を披露しています。

見沼田んぼと人々の共生の時代・今

さてさて、時代は進み、、、、

「自然と人との共生の時代」、「見沼地域が人々の生活を守ってきた時代」を経て、今では「人々が見沼の自然を守る時代」へと時は変移りかわってきました・・・

1958年に関東地方を襲った狩野川台風の際、見沼田んぼが貯水機能を発揮して下流に被害が及ぶことを免れたことから、1965年に見沼三原則が制定され、開発抑制策が講じられ宅地化が認められなくなりました。おのずと、見沼の自然が守られていくようになっていきました

しかし、1970年代には水田から畑地への変換が進んで、1980年代には農業の後継者の不足などによって土地が荒れてきてしまいました。

でも、首都圏の貴重な自然が残っている地域として見沼田んぼを保全する活動が盛んになり、現在も見沼田んぼを愛する数多くの市民団体、公共団体が、環境保全、農地活用、地域活性活動を活発にしています

見沼田んぼを訪れると、農作業をしている方や、ビオトープのお手入れをしている地域団体のグループの方々の姿も。

どんな活動があるかというと・・・

見沼田んぼを保全する活動の例

  • 見沼にホタルを取り戻す活動
  • ゴミ拾いをしながらウォーキング活動
  • ビオトープを作る活動
  • 河川の水質調査をしたり河川の浄化の活動

地道でコツコツした活動で四季折々のお手入れをしながら、大切に畑を育て続けてくださる方々のおかげで、いつ訪れても気持ちの良い田園の空気を味わえるのですね!

環境保全などのお仲間に入れていただくのも楽しそうです♡


いかがでしたでしょうか。

江戸時代の庶民の農耕生活に始まり、今日の住民と見沼の自然の共生活動の時代に至るまで、人々の生活とともにゆっくりゆっくり流れ続けてきている見沼代用水、そして、その歴史を静かに見下ろしてきた桜並木・・・

歴史に思いを馳せながらどこまでも続く代用水沿いの桜回廊を散策してみませんか!

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